こんにちは。兵庫県川西市向陽台にある学習塾グルントラーゲです。
本日午前、神戸に行く用事がありましたので、湊川神社に少しだけ立ち寄ってきました。ということで、今回もすこし歴史の勉強にちなんで、湊川神社と楠木正成について書いていきます。
◇湊川神社の歴史と見どころ
湊川神社は、1336年の「湊川の戦い」で殉節した南北朝時代の武将・楠木正成公の忠義を後世に伝えるため、その墓所と殉節地を含む場所に建てられました。境内には、正成公の殉節地や徳川光圀が書いた墓碑が残されており、歴史好きにはたまらないスポットです。社殿は神戸大空襲で焼失しましたが、1952年に鉄筋コンクリート造の社殿として再建され、戦後の新しい神社建築の代表例とされているようです。
◇楠木正成の生い立ち
では、楠木正成とはどんな人物だったのでしょうか。中学の歴史教科書にはそこまでくわしく書かれていませんが、楠木正成は、鎌倉時代の終わりから南北朝時代に活躍した武将で、「忠義の武将」として有名な人物です。生まれたのは1294年ごろ、大阪府の千早赤阪村あたりとされています。鎌倉幕府が弱体化してきた時代に、後醍醐天皇を助け、幕府をたおすために戦いました。少年時代は観心寺というお寺で勉強し、そのころから頭がきれ、とても強い武将だったそうです。
その後、元弘の乱で、千早城や赤坂城という山城に立てこもり、少ない味方で大軍の幕府軍を工夫をこらして撃退したことで有名になりました。その戦いぶりが評価され、鎌倉幕府をたおしたあとの建武の新政で、後醍醐天皇を助ける中心人物の一人になったのです。
◇楠木正成の最期と「忠義」のイメージ
やがて、味方だった足利尊氏が天皇に謀反を起こし、正成は天皇のために足利軍と戦うことになります。湊川の戦いで不利な戦いだと知りながらも、正成は「天皇のために命をかける」いいながら敗れ、自害しました。その最期は、「七生滅賊」(七回生まれ変わっても国の敵をたおす)という言葉であらわされるほど、強い忠義心の象徴として語られています。戦時中のスローガン「七生報国」のもととなった言葉ですね。
◇歴史的事件と人物とゆかりの地を結びつけよう
南北朝時代といえば、中学歴史でもややこしいところなので、苦手な生徒も多いのではないでしょうか。今回取り上げた楠木正成はじめ、後醍醐天皇などは、「鎌倉幕府がほろびるころ」「建武の新政」「南北朝時代のはじまり」とセットで出てくるので、この三つのキーワードと一緒に覚えるとテスト対策になります。歴史は単に教科書の字面だけ追っていても面白くないですね。
☆最後に
楠木正成や湊川神社についてもう少しくわしく知りたい方は、湊川神社の社報「あゝ楠公さん」にも寄稿している久野潤先生(日本経済大学准教授・歴史研究家)の動画を探してみて下さい。
兵庫県川西市向陽台2-2-3
学習塾グルントラーゲ
2026.02.12
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